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ヨーガは、幸せになるためにするものなのか


ヨガっていったって、ひとくくりにはできなくって

 

昨今のピラティスみたいな体幹トレーニングみたいな、ボディーワーク的位置づけがひとつ

それと古典での、宗教的ヨガ哲学的ヨガっていう分類。

 

アーカーシャでは、ヨーガスートラをベースに、ヴェーダの文献を引用したりもして

ヨガ目線でのインド哲学をお伝えしています。

 

そんなアーカーシャが、違和感を感じている

“ヨガをすると毎日がキラキラ充実元気いっぱい!!”みたいな文言について、今回は言及してみます。

 

ヨガスートラは、古くは紀元前1500年と言われており、少なくとも紀元前800年です。

これは、文字として残っているので事実です。

 

5000年の歴史というように語られているのは、ヨガの元となるヴェーダについてですね。

ヴェーダは、後に6つの見方(学派)を持つようになり、その1つがヨーガです。

 

そんな古代の文献群が、古びることなく今にも生きて適応できているって

やっぱり、どうして、生きることって苦悩の連続だからだと思うんです。

 

実際、ヨガスートラにも、そう語られている1節があったりします。

 

これは、ただ悲観しているわけじゃなく

『今』を、どうにか何とか、うまくやっていくことの連続が人生で

 

その助けになるのが、ヨガだって実感しているからです。

 

 

現実に、人生には色々なことが起こり、わたし達は色々な経験をします。

 

マインドに映し出される映像のことを、経験って表現したりもしますが

各々の経験は、マインド次第って考えるのがヨーガ哲学。

 

例えば何かが起きて、ヨガどころじゃなくなったってのは

『今』、マインドが取り乱していてそう考えているかもしれないけれど

 

そういった、ざわざわもやもやしているマインドをケアすることがヨガの役目。

 

体を折り曲げてストレッチしたり、逆さまになってバランスを取ったりっていう運動をしているようで

そういうことって、マインドが取り乱しているときには効果的だったりします。

 

まずは、どうにかして、マインドをおとなしく、波がなるべく立たない状態まで持っていくことが先決。

 

どうしたいのか、どうしたらいいのか、どうなりたいのか、どうなったらいいのか

が見えてくるのは、そこからです。

 

『今』を何とかサバイブし続けて、都度修正しつつも

満足/納得のいく生き方に近づくことができたなら。

 

それがアーカーシャの願いです。


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