瞑想やヨガするとエゴが強くなるという研究結果があるが、ヨガ的解剖学で説明してみると
マインド(思考・気分・感情)は、ハート(心・心臓)に位置している
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ヨガや瞑想によって、締め付けられていたハートにスペースが拡がる
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ハートには“じぶん自身”も含まれるから、エゴが強くなる
つまり、今まで省みなかった体の痛みや不調に敏感になる。
あるいは、こうしたい・こうなりたいっていう気持ちや、こうしたくない・こうなりたくないって気持ちが強くなる。
でも、これらって大切なことだと思うのだ。
じぶんを内省することやじぶんの頭(この場合は思考=マインド)で考えることが、じぶんを生きることだから。
ここで補足しておくとヨーガ学派の見るエゴは2種類ある
- アハンカーラ:自分という意識
- アスミター:マインドの汚れの1つ
ここでは1を指していて
2については苦しみの種なのだから、当然ながら減らしていく必要がある。
ちなみに、アスミターのヨーガスートラの定義は
プルシャの力と
マインド(プラクルティ)の力を
同一であるかのように捉えること
となる
単純にいうと
頭(マインド)が考えていることなのに
心(プルシャ)から感じてると勘違いする
ということで、つまり、思い込みってことになる。
そのことがひいては、一般的に捉えられるエゴ
慢心・利己主義・高慢 etc.
みたいなことになるのかと思う。
でもそれは、マインドの汚れであって
「自分という意識」であるアハンカーラは大切。
そのアハンカーラをも超えた意識は、完全にプルシャと一体(サットヴァ)な究極状態だということを前提として、ヨーガ学派はエゴを捉えている。
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どうかエゴを悪いものだと判断しないでほしい。
エゴを極度に抑えると、最初にも述べたようにハートが締め付けられる。
この状態のことをドゥッカ(苦しみ)と表現される。
長期的には、身体面でも心理面でも病気になってしまう可能性だってある。
確かに、私が私がという主張は子どもじみている。
でも、もしかしたらヨガをしてすぐの段階はそういったじぶんが暴走するかもしれない。
今まで抑え付けられていたとしたら、なおさらだ。
ただ、マインドが安定すると次第に知性も増してくる。
こうしてじぶんから本当のじぶんに近づいていくのだ。