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あらためて、ヨガについて


シェイプアップのためや筋力アップのためっていうのはここ数十年の後付け的キャッチコピーですが、そこから入った人も何かしらもっと深いものを感じているのではないかと思います。

 

ヨガの定義は、その語源からだったり古典からだったりさまざま。

 

まとめるなら「統合」「融合」「目的に到達するための手段」からの、やっぱり「マインドを落ち着かせること」に尽きます。

 

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マインドを落ちつかせることを平たく説明すると、思考の暴走を静かにさせること

それにともない、気分や感情のアップダウンを穏やかにさせることです。

 

マインドはバラバラになった映画のフィルムのように、瞬間瞬間で一コマ一コマが閃いては消え、また閃いては消えます。

 

ある特定の似たようなコマで、気分や感情は特定の反応をみせる。

また、ある特定のコマが繰り返し繰り返し出てきて消えない。

さらには、疲れてもう見たくないのにコマが暴走して止められない。

 

そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか。

 

ピュアなヨガの持つ力は、そういったマインドの動きをコントロールすることなのです。

 

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ヨーガ哲学では、プラクルティ(マインドを含めプルシャ以外)はプルシャが経験するための道具だと言い切っています。

 

プルシャが何かを経験するとき、私たちは喜びを感じます。

経験することこそが、プルシャの目的だからです。

 

一方、道具であるマインドは「自分こそがプルシャだ」と勘違いします。

 

そうなるとき、私たちは喜びを感じません。

一瞬の楽しさみたいなものはあるかもしれませんが、むしろ苦しみが多くなっていきます。

 

ここでの大きな問題は、何がプルシャで何がプラクルティなのか私たちは判別できないことです。

 

ですから、少なくともマインドの暴走を抑えて穏やかにすること。

そのための努力はしましょうというのがヨガの練習となります。

 

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私がヨガの練習を日々していなかったとき、気分の上がり下がりが大きかったとつくづく思います。

 

感情をうまく表現できないという人がいるかもしれませんが、私はエモーショナルなタイプですぐ感情的になってました。

 

許せないと感じることも多くて、いつも怒っていました。

 

今でもその傾向はゼロではありません。

でも、少しずつうまく対処できるようになっていると感じています。

 

そのために考え方を改善する努力をしたわけでもなく、ただただ(A)継続してマインドを落ち着けるという努力(=ヨガの練習)をしてきている結果です。

 

それと、(B)ヨーガ哲学が身についてきていることも大きな要因だと感じています。

 

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(A)はヨガの定義なので、ヨガに惹かれる人すべてにおすすめします。

 

(B)は(A)を継続して行なっている人に対しておすすめします。

なぜなら(B)だけを頭に詰め込んでも、心からの理解にならなかったりするからです。

 

ここで、心には3つの意味があります。

 

ひとつは臓器としての心臓。

ひとつには太陽神経叢のコンセプト。

 

そして、Hrdayam/ハートというサンスクリット語です。

Hrにはto receive、daにはto giveという意味があります。

 

レシーブは受け取ること。

 

ギブは日本語だと与えるという意味合いが強いように思うのですが、どちらかというと受け渡す/手放す/解放する/許すみたいに感じています。

 

つまり、自分の先入観なしにただ受け取り、そして受け渡す能力と説明できます。

 

頭での理解ではなく心からの理解のためには、マインドが落ち着いていることが前提なのです。

 

そうでなければ先入観にとらわれてしまい、純粋にものを見たり聞いたり感じたりできなくなってしまうからです。

 

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そんな私のヨガから得ている恩恵は、生きやすくなっていることです。

 

古典で定義されている「マインドを落ち着かせること」は数千年の時間を超えて、私たちの人生をなんとかうまくサバイブする鍵なんだと考えています。


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