それはふたつあって、ひとつは楽しむこと・経験すること。
おいしいものを食べたり
ショッピングしたり
美容院に行ったりネイルしたり
映画を観たりお芝居を観たり
旅行に行ったり etc...
でもそのことばかり追っていても、なんだか満たされない。。
その理由は、プルシャ(本当の自分)が望む経験したいことじゃないから。
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ヨーガ哲学はプルシャと、プラクルティというプルシャ以外のものというふたつの概念がベースとなる哲学です。
プルシャとプラクルティの関係性はプルシャが知覚(経験)するもので、プラクルティが知覚(経験)するための道具です。
そんなプラクルティの司令塔みたいなものがマインド(思考・気分・感情)です。
マインドだってプルシャが経験するための道具にもかかわらず、経験しているのは自分だとたやすく思い違いをします。
例えば、体はプルシャが経験するための道具のひとつだから、そのために栄養を摂ろうとします。
そうして胃は満足してるのに、もっと欲しがるのがマインドなんです。
体に悪いものを欲しがるのもマインドですね 笑
じゃあマインドは悪者だから、働かせないほうがいいって考えるかもしれません。
それがそうでもなく、マインドが働いていない状態は夢も見ていない熟睡していてる状態にあたります。
そうでなければ、アルツハイマーのような脳の病気だったり、重度のうつ病などの精神疾患ということになります。
忘れっぽいなどの症状は、マインドの機能の衰えにあたります。
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それでは、司令塔(マインド)の暴走を抑えるためにはどうしたらいいのかといえば、マインドの汚れをクリアにすることです。
そのことで指揮官(プルシャ)の意図を正しく汲み取ることができるようになるのです。
一方で、残念ながら日常の中で私たちはプルシャを感じることができません。
それでもマインドの汚れをなるべくきれいする努力によって、ヒラメキのようなものとして受け取ることはできます。
それはアハ体験のような瞬間的なものだったり、夢で見た記憶だったり、深い瞑想によって得られるものとされています。
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そして、もうひとつはあらゆる束縛からの解放。
これは霞を食べる仙人のごとく生きるってことじゃなく、プルシャ(本当の自分)を理解するという意味です。
それでも日常では感じることができないプルシャを理解するというのは、いわば究極の状態といえます。
その究極の状態では、もはや抑圧や制限がなく心からの満足だけがある状態です。
もちろん凡人である私には一瞬のヒラメキは得られても、それが永遠に続くものとして感じられません。
だからこそ、日々マインドをクリアにする努力(=ヨガの実践)を忘れないようにしています。
それがどちらの人生の目的にも要求されることで、ヨガ哲学の言わんとすることだと思ってます☺️