ゴールに到達するために要求されることを、東アジア的には修練と離欲と表現したりします。
一方、本場インドのヨーガ学派は、ただやみくもに修練!離欲!ではなく
離欲のために必要なことは修練だけれど
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どうしたら①長期間 ②休みなく ③前向きな姿勢で ④熱意と ⑤信念をもって行うという修練に求められるクオリティを達成できるのか
を掘り下げています。
詳しくはアビヤーサとヴァイラーギャをご覧ください。
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また、インド哲学全体としてみる苦しみの原因は、強い欲望・怒り・強欲さ・思い込み・傲慢さ・嫉妬です。
これらの根っこにあるのは、欲望なのかもしれないですよね?
だから欲望を手放すっていうコンセプトは、哲学的に永遠のテーマだったりするわけです。
でも、手放したいと欲しがっている気持ち自体が欲望じゃありませんか?
となると、欲望はヨーガ学派のみるマインドの汚れの一つだから、汚れをきれいにするっていう一択になります。
そのための修練で、ヨーガ学派ではマインドフル実践がそれにあたります。
つまり、具体的なゴールを見据えている場合にも、自分を縛っている何かを手放したいと考えている場合にも、結局はメディテーションということになるんです🌈✨
皆さんはどうお考えになりますか?