ヨガという哲学や思想はひとつじゃないし、手段である瞑想はもっとひとつじゃないものなんです。
私の理解をベースに、その定義についてお話ししてみますね。
ヨガの分類
- インド哲学(ヴェーダ)の1学派のヨーガ①
- インド哲学(ヴェーダ)の1学派の最大派閥であるヴェーダーンタによるヨガ②
- 宗教的ヨガ=プラパッティ③
普通に考えたら①って考えますよね?
これが違くて、この3分類で最もマイノリティなのが①なんです。
戦前のメジャーは③、戦後のビートルズ由来なヒッピー文化から現在に至るまでの源流は②なのかなと思ってます。
ビートルズでおなじみなリシケシはヨガの聖地とされてますが、正しくはもともと聖地。
それゆえに、(ヨガじゃなく)ヴェーダーンタのアーシュラムが多くあるという表現となります。
ヴェーダーンタの人々にとってヨガは健康体操に過ぎず、子ども以外は必要ないと捉えていることが多いようです。
ヨガは健康体操なの?
ヨーガ学派の体を使った練習は、体という見ることができて触ることもできる対象に意識を向けた集中するための手段です。
そして、集中するためのアンカーとして呼吸を使います。
この呼吸という要素によって、骨格筋や関節への作用に留まらず生理機能にも働きかけるわけですが、それでも本来の趣旨は心理面のケアなんです。
そんなWhyのロジックが抜け落ちて、体へのアプローチということだけが残ってるのが健康体操としてのヨガだけれど、心理作用に対しても何かしらいいと感じているからこそヨガ=心身の健康として認識されているわけです。
それってすごいことですよね?!
なんだけれど、どうやってマインドを対象に集中させるのかを熟知していないと、結果的に健康体操として終わってしまうことになるわけです。
そんなマインドを取り扱うことを専門にした哲学がヨーガ学派なんです。
ヨーガ学派の瞑想
ヨガスートラで示されている瞑想は、(対象に向かって)一点集中→その時間を長くする→(対象との)完全な融合=完全な理解とされてます。
そのため一点集中できるようなマインドの状態に持っていくための前準備として、まずは体を使った集中があるんです。
体を使った集中=アーサナによってマインドの活発な活動が抑えられたところで、呼吸だけにフォーカスする実践=プラーナーヤーマをします。
このプラーナーヤーマによって明晰さや識別力を覆っていたカバーが取り去られると表現されていて、ようやく本格瞑想に向かっていくことができるわけなんです。
なので、きちんとした呼吸法を身につけることって本当に大切なんです。
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ヨーガ学派ではアーサナとプラーナーヤーマも瞑想と捉えており、その必須条件は集中することです。
(私はこのことをヨガ瞑想と呼んでいます)
自分に集中することは自分の本質に向かった瞑想であり、本質というものはネガティブさのかけらもない輝きなので、マインドの汚れはクリアになります。
そしてマインドの汚れがクリアになるほどに、もっと自分の本質を理解することができるようになるんです。
それってほとんどが無意識下での起こることなので、言語化することはできません。
それでも不満足なことや心身の苦痛が減ってきて、なんとなく満足できることや納得できることが多くなってきたなら、それがヨガ瞑想の効果なんです。
日々の行動や選択が人生を作り、その行動や選択は私たちの思考や気分や感情=マインドに由来します。
そのマインドの状態をケアすることがヨガ瞑想だから、行動や選択が自分にとってベスト(少なくもベター)になるんです!
誰かと比べてとかじゃなく、もっと満足できる納得できる安心できる人生になるように
自分らしいってどういうことか追求したいと考えるすべての人向けなのがヨガ瞑想です🌈✨
皆さんはどうお考えになりますか?