トラブルがあったときに人のせいにすることは簡単だったりします。
何がこの前提にあるのかを考察してみますね。
- 自分だけが正しい(相手は間違えている)
- こうしてほしかった(してほしくなかった)
他に何かあったら教えてくださいね。
自分だけが正しいとか相手は間違えているという考えは、ヨガスートラでは終わらない無知と苦しみにつながるって表現しています。
これって自分のリアリティと相手のリアリティは同一ではないってことが前提にある考え方なんです。
それが通用しない場合には一般論や常識みたいな、いわば数の論理を持ち出してくる。
でも、そこまでして自分の主張を通す必要ってあるのかな??
そんなこと、ほんとに愚かさと苦悩にしかならないですよね?
・・・
こうしてほしかった、してほしくなかった問題も人間関係にあるあるトラブルですね。
でも、エスパーじゃない限りは気持ちを伝える努力をしなければ、理解してもらうことは難しいってのが事実じゃないでしょうか?
むしろ言葉でもすべてが表現できないからこそ、伝える努力をするんです。
それでも言葉にするのって難しかったりもするわけで、なぜ難しいのかについては次回お話ししますね。
あと、問題を人のせいにする根っこには損得勘定や人を利用する動機がありませんか?
何かを過剰に勝手に期待している行動は、その結果が得られる可能性があったとして、おそらく相手も自分のことを利用しようとしているって考えた方がいいですよね。
お互いの利益のためにお互いを利用しあっている関係は、本質的な幸せにはつながらないのではないでしょうか??
ヨーガ学派の考える幸せは、心から納得できる満足できる安心できる状況です。
そのためには人から見られることや一般的に考えられてることじゃなく、自分の深い場所を理解することでしか分かり得ない。
だからメディテーションするんです🌈✨
皆さんはどうお考えになりますか?