セルフケアなしに日々過ごしてると、ある日病気が発覚してまとまった期間を治療にあてることを余儀なくされるかもしれないですよね。
それを神様からもらった休息と表現する人も多いかもしれないけれど
そもそも日頃から朝晩10分ずつだけだとしても自分に向き合う時間が持てていたなら、そういった状況にならない選択をしていたかもしれません。
人生はひとつひとつの選択で積み上げられているわけで、その意味でセルフケアが人生を構築すると表現しています。
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きちんと自分に向き合うことで、どうしたいのか、どうなりたいのかが見えてくるのだけれど
逆に言ったら、それができていないと怒りや不公平感みたいな不満が溢れてくるように感じるんです。
- 私ばっかり〜〜してる
- 同じことをしても、あの人ばっかり評価されてる
- 大した努力もしていない、あの人ばっかりうまくいってる
みたいなことがそれで、これではQOLだだ下がりです。
そう捉えずにその行為を選択してるのは自分だという覚悟があるのなら、不満みたいなことにならないような気がしてて
その前提として、やりたくないことは初めからやらなければトラブルは起こらない(主張する必要や説明責任や歩み寄りはあります)ってことです。
なぜそうしたいのかという理由が内側由来か否かが問われるのは、そういうことだと思ってるんです。
こうしたら万事丸く収まるというような自己犠牲は、実は別のもっといい結果があったのに、、
というオプションを知らなかっただけなのかもしれませんよね。
選択しなかった未来は知る由がありませんから。
それでも確かに不公平ってままあるわけで、そこはそれこそスピ的解釈で
- 目的到達スピードは人によって設定が違うだけ
- 障害設置も自分の設定
ということで受け入れるようにしてます🌈✨
皆さんはどうお考えになりますか?