ヨガスートラはゴールに到達するためのTipsをいくつか紹介しているけれど
インド哲学の根幹である、2章1節のクリヤー(行為の)ヨーガを掘り下げてみました。
②スヴァーディヤーヤ:古典を学ぶことを通した内観・内省
③イーシュヴァラ・プラニダーナ:高次の存在に行為を明け渡すこと
このサイクルの循環によって
①苦しみの種となるマインドの汚れが少なくなる
②サマーディ(本質的な自分を理解すること)に到達する
ってヨガスートラは示してるんです。
そんなヨガスートラをまとめたパタンジャリさんは、事実を淡々と語るだけじゃなく
天才的に私たちのことをお見通しで、私たちが陥りやすいパターンをサクッと指摘するんだけれど、、
ちなみに、ここでの行為はタパスとスヴァーディヤーヤのことで
こんなにタパスしたりスヴァーディヤーヤしたから、どれだけサマーディに近づいた??っていう期待を持ってしまう傾向がある私たちだからこそ
それらの行為は至高の存在にお供えして、また新たなタパスをするんですよ(後ろは振り返らず前に進む)って言ってるんです。
これは、すべての「良い行為」をした後にも共通しますが
悪い行為をして、それをお供えしてチャラとかいうコンセプトじゃないことは、念の為お伝えしておきますね。
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似た言葉で「カルマ(行為の)ヨーガ」というのもあって、こちらはヴェーダーンタ学派のコンセプトと認識してます。
カルマヨーガの目的は輪廻転生からの離脱のことで
パーパ(悪い)カルマ(行為)をしたら、悪い来世が用意されてしまうし
かといってプンニャ(良い)カルマ(行為)をしても、良い来世が用意されてしまって輪廻転生から離脱できないんです。
だからパーパカルマしないことは当然で、あらゆる行為をイーシュヴァラのための行為、つまり(自分ごとじゃなく)儀式として行うというコンセプトがカルマヨーガで
そうすることでカルマは自分に返ってこないから、どんな来世も用意されないという考え方です。
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輪廻転生からの解放がテーマなヴェーダーンタ学派と
マインド(つまり、生きている間)の苦しみを少なくすること&自己探究がテーマなヨーガ学派の違いを認識してないと
なんとなく偏った理解になりがちなクリヤーヨーガのコンセプトについて、ブログで補足してみました。
ちなみに、ヨーガスートラでのアパヴァルガまたはカイヴァリヤの解釈を、クリシュナマチャリヤ師の伝統では「あらゆる束縛からの解放」と表現しています。
これを「輪廻転生からの解放」と解釈するのは個人の自由です。
皆さんはどうお考えになりましたか?
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