生きづらさを感じるのは特別なことじゃなくて、私たちの傾向だし
「この世」で生きるってそういうものなのかもしれません
だからこそ「よりよく人生をサバイブする」ための哲学が、すでに2000年前には確立されていたわけで
その考え方を、古典から紐解いてお話してみますね
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人間を構成している5つの要素・要因を「パンチャ・マヤ」といいます
- アンナ・マヤ:食べ物 (肉体)
- プラーナ・マヤ:生命力・活力、生理機能 (呼吸)
- マノー・マヤ:知覚器官、思考・感覚 (マインド)
- ヴィグニャーナ・マヤ:ものの見方や捉え方の根っこ (パーソナリティ)
- アーナンダ・マヤ:永遠の喜び、潜在力・可能性 (深い場所の自分自身)
3までのレベルで生きている結果、生きづらさがあるもので
それって、意識が外側を向いている状態なんです
でも、生活することは外側に意識が向くことでもあるから
それは極めて当たり前のことで、別に悪いことなんかじゃないですよね
なんだけれど、そこだけで生きていくと
結果、何か苦しくなっちゃうものでもあって
だから、内側に意識を向けることが必要でもあるのは
深い場所の自分自身である5に、自分にとっての「幸せ」の答えがあるからなんです
そのヒントを垣間見るためには「集中」がキーワードで、さもないと意識は外に向いちゃうもので
そのためのハウツーが、ヨガスートラの2章 (サーダナパーダ)なんですよ
まさに、古代の自己啓発本!!
での今回のエピソードでは、4に直接作用する練習であるマントラチャンティングを紹介しました
ものの見方や捉え方の根っこはマインドセットじゃ解決しない理由は
マインドである3よりも深い場所の機能だからで
もはや、頭で考えてどうこうなるものじゃないのが「パーソナリティ/個性・人柄」です
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最後にスピな話になるのですが、、、
この世を去るときに「走馬灯」が確かに映し出されるそうで
走馬灯が重たく後悔に満ちてると、あの世も暗い重たい場所になるんですって
走馬灯が明るく納得できるものだと、あの世も軽くて明るい場所になるっていう、、
信じるかどうかは別として
ああすればよかった、なぜこれをしなかったのか
みたいな後悔が多い人生は送りたくないから
今、なるべく納得できる選択をして生きようっていうのが私のモットー
ものごとに妥協や歩み寄りは必要かもしれないけれど、絶対にゆずれないこともあると思うんですよね
それを知るためには、内側を深く深く見つめないと分かり得ないんです
それって「集中する」ことだから、マントラチャンティングも「集中する」ためにやってるんです
精神的なモチベーションでマントラを扱う人々は怒っちゃうかもしれないけれど
精神性っていうのは、個人個人で尊重すべきと思ってて
一方で、もしも精神性だけでマントラを扱うのなら
サンスクリット語の発声に集中することは、最重要じゃなかったりするかもしれません
つまり、目的は人それぞれってことですね!
集中するための手段としてのマントラチャンティングに興味を持たれたら、無料クラスから是非是非!
皆さんはどうお考えになりましたか?
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